Quantcast
Channel: On the green athlete corner
Viewing all articles
Browse latest Browse all 36

1972年のマイルスデイビス

$
0
0
この年の評価は非常に難しい。
71年12月から72年6月まではステージに立つこともなく
帝王の主たる活動はスタジオで多種のサウンドを追求する日々。
多編成「On the corner」の発表、
あるいは、シタール、タブラを加えた試み。
 
インド楽器を加えてオリエンタル路線に突入か!と思いきや、そうではない。
あくまで、スパイスを加える程度の味付けみたいなもんだ。
 
マイルスの目指す位置はファンク系ジャズと言うジャンルなのだろう。
シタールが加わろうがタブラが加わろうが、その立ち位置は変わらない。
 
しかし、正直なところ
ソニーが公式に発売した作品はあまりパッとしなかった、
むしろ、未発表作の方が良い作品が多い。(海賊盤を聞く限り)
帝王にとっても納得出来る年ではなかったと思う。
 
その一因は、
固定メンバーでツアーに出られなかったことに起因する。
この年は米国内で数回ライブを行う程度で海外ツアーは一度もない。
つまり、海外ツアーを行うほど熟成されていなかったと言うことだろう。
その理由は、
一言で言うと、メンバーの力量不足だったと言わざるを得ない。
 
当時の帝王は若手メンバーを積極的に起用した。
その理由は
既存のジャズメンでは、その音楽性が違い過ぎたからだ。
けどね、いくら若手でフレッシュな感覚であったとしても、その力量が不足ならば
帝王に追随出来ないのは明らかで、
公式盤「In Concert」は悲惨な結末だったように思う。
 
当時の主たるメンバー
マイルスデイビス          tp
※セドリックローソン        key
※カルロスガーネット       sax
※バダールロイ          tabra
※カハールバリクリシユナ    sitar
★レジールーカス          g
★マイケルヘンダーソン      b
★アルフォスター          ds
★ムトゥーメ             per
                              この9人編成が73年初期まで続く。
 
この年からギタリストがメンバーに加わるようになった。
帝王にとってギターを加えたバンドを固定することが、積年の思いだったのであるが、
まだこの時点では、正直技量不足であることは否めない。
その技量不足解消まで、帝王は1年を掛けて鍛えていく。
 
翌年の1973年にサックス奏者「若禿げデーブリーブマン」と
2人目のギタリスト「超変態ピートコージー」を加えて、メンバーが固定されるようになり、
※印のメンツをクビにして、
鍛えに鍛えられた★印のメンバーの技量も上がり、
ツアー活動も増えて行く。
そして、帝王バンドは73年6月以降、日本公演を皮切りに火の玉の如く突き進むのである。
 
1972年は栄光の73年への布石だったのだろう。
 
★帝王に鍛えられ、1年後、一流プレーヤーに成って行く若手選手。
※帝王に鍛えられるも、2度と声を掛けられなかった若手選手。
 
イメージ 1
 
 写真左  「On the corner」
リズムの洪水などと言われているがシンプルです♪
 
写真右  「In Concert」  貴重な72年の音源。でも結果は悲惨。
「On the corner」のライブ版と言われてますが、期待しては行けません。
72年、最低の出来。本当はもっと凄い音源が沢山あるのに、これを公式盤として発売するソニーのセンスの無さにガックリです。(テオマセロのセンスの無さか?)
 
 
 
 
 

Viewing all articles
Browse latest Browse all 36

Latest Images

Trending Articles





Latest Images